Jazzヴォーカリスト「びび」こと工藤直子の日々。


by vivian_n
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63年

東京大空襲からもう63年、ですか。


浅草や両国、吾妻橋、言問橋、亀戸。
JR有楽町駅の高架下を歩くとき。
いつも考えるのは
その場所で
私が生まれるずっと前に
実際に、それがあったということだ。

何年か前、
桜の季節だった。
たくさんの人で賑わう隅田川沿いを歩きながら
3月10日の夜明けを思う。

いったいどれほどの人が
どれほどの残された想いが
この私の足元に眠っているのだろう。

忘れてはいけない、という。
でもその前に
どうか知っておいてほしい。

桜の色はほのほのと
温もった午後の空気の中で
うす明るい雪のように
いつまでも降り続いている。
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by vivian_n | 2008-03-12 00:52 | ひび。

カレセン

カレセンちう本がF&Mに置いてあった。
カレセン=枯れたオヤジ専科なんだそうだ。
なんで置いてあるかっちうと、
土屋先生のいんたびう@F&Mが載ってるからなんだって。
ふとオビを見ると、

内田百閒から「リストランテ・パラディーゾ」まで』
e0005280_23191884.jpg


ちょいワルオヤジはもう古い!…などと。

しかし。
いきなりそう来ちゃう?

内田百閒から……?

ちょwwwマニアックすぎるだろwww

いや、私は好きだからいいんだけどね。
つか元々マニア向けの本だからいいのかw

しかし、カレセンなお嬢様方にお勧めする本の中に
川上弘美の『センセイの鞄』が載っていなかったな。
仕方が無い。私がご紹介しておきましょう。
つ事で、↑のリンクからどぞ。

ま、今日はそんなところで。
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by vivian_n | 2008-03-10 23:19 | 百閒先生

『長春香』によせて

先生の作品には、
亡くなった知人や友人について書かれた作品が
本当にたくさんある。
『鶏蘇仏』『破軍星』『空中分解』
『一本七勺』『花のない祝宴』『とくさの草むら』
『竹杖記』『漱石先生臨終記』
そして『東海道刈谷駅』。
今パッと思いつくものだけで、これだけある。
『長春香』も、そういった作品のひとつなのだけれど、
ちくま文庫の集成には収録されていないと
ずっと思い違いをしていて、
最近になって気が付き、
先日やっと、このセンチメンタルな、
淡い恋のような話を読むことができた。

ドイツ語を自宅に習いに来ていた女学生、長野初との交流。
聡明で、美しい彼女から聞くとはなしに聞いた、
不幸な「最初の結婚」と、幼くして亡くなった子供のこと。
関東大震災で彼女が消息不明になった後、
安否を尋ねて歩く先生と、その後、毎年震災記念堂に
おまいりに行く度に気付く奇妙な記憶の混乱。
彼女の家の焼け跡に残っていた鳥の形をした一輪挿しと
腰掛け稲荷での闇鍋を囲んだ馬鹿騒ぎ。

先生は、『長春香』の約30年後にも、
彼女の事を『アヂンコート』という作品で回想しているのだけれど、
こちらは、「男女」であると同時に「師弟」でもあることの
何か切なさのようなものが伝わって来る。

お初さんは、その当時空き地になっていた
被服廠跡に避難したのだという。
広い所に逃げれば火事はやり過ごせると考えていたのかも知れない。
しかし、それが逆に、最悪の結果を招いてしまったのだ。
事実、本所界隈のほとんどの人がそこで亡くなったという。
被服廠跡は、その後震災記念堂となり、
現在では東京都慰霊堂として、
東京大空襲で亡くなった身元不明の人たちも合祀されている。

『アヂンコート』の最後にこんな事が書いてある。

 ーしかし私はなぜそんなにお初さんを探しに行ったのか。
  ただ消息が知りたかったと云っても、
  消息を突き止めてどうすると云うのだろう。(中略)
  人ごみに交じって、むくむくと立ちのぼる香煙の向うに
  何を見ようとしたのだろう。ー


…って私、去年の10月頃、東京都慰霊堂に、
その建物自体を見たくて行ってるじゃん(@_@;
それに、今年の始めに音羽界隈を散歩した時、
盲学校のそばの腰掛け稲荷の前も偶然通ってるよ…。
先生の女弟子が、関東大震災の時に被服廠跡で
亡くなっているという事は、別の作品にも所々出てくるので
なんとなく知っていたけれど、
腰掛け稲荷まではさすがにノーチェックだったわい。

…もうやだなあ先生。
先に言ってくれればよかったのに。
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by vivian_n | 2008-03-05 01:11 | 百閒先生

Until I Find You

今年に入ってから、
ジョン・アーヴィングの新作
『また会う日まで』を読み始めて、
この間やっと読み終わった。

ジョン・アーヴィング 『また会う日まで』
http://www.shinchosha.co.jp/book/519111/

これを読むにあたって、
事前調査とばかり
『ガープの世界』を観たのだけど…。

うーん(笑)

でね、『また会う日まで』は
どーだったかというと、

うーん(笑)

父親を探す旅。
子供の時の記憶。
でも、その記憶はほとんど事実とは違っていた。

うーん(笑)

物語に付随するナマナマしい話は
彼特有のものなのかも知れないけれど、
それはともかく、
盛り上がりそうなイベントを振っておきながら、
そのすぐ後にそれがどうなったか答えが書いてあるから、
物語にスピード感が出ないんだよう。
ただでさえ長い話なのに、
自分で先にネタばらしすんなようジョンさんよう。

…だけど、
と、ちょっと別なことを変えてみる。

子供の時は、やたら1日が長い。
大人になると、1年なんてあっという間だ。

そうやって考えてみると、
主人公、ジャックの子供時代は
この物語の前半で延々と書かれているし、
大人になってからの彼の日々は
するすると流れて行ってしまう。

時間、かな。

記憶は簡単に変わってしまうという事も
大きなテーマなんだろうけれど、
子供の時に感じる時間の流れの速さと
大人になってから感じるその速さの違い。
謂わば『人生の加速度』のようなもの?
そういうものも同時に書きたかったのではないかと
感じちゃったりしてね。
深いなあ、と思ったりする。
いずれにしろ、
ジャックの、ジャックらしい人生は、
きっと物語が終わった所から始まるのだ。

しかし、
なぜに邦題が『また会う日まで』なのか?
私の世代なら、どうやったって尾崎紀世彦を
思い出さずにはいられないが…

そういや主人公のジャックは1965年生まれ。
私とほとんど同世代だ。
もしかして訳者の小川高義氏は
主人公と同じ『また会う日まで=尾崎紀世彦』の世代に
この本を読んで欲しくて
意図的にこんなタイトルを付けたのではないかと…
そんなふうに勝手に邪推しているw

(追記)
読み手の視点は、たぶんガルシア博士の視点と
同じような位置にある気がする。
妹に出会い、父に出会い、
4歳から38歳までの時間をやっと埋められた時、
ガルシア博士との関わりが
ジャックの感謝の言葉とともに終わりを告げたが、
それは同時にアーヴィングの言葉として、
読み手に感謝の言葉を述べているような
気がしてならないからだ。
「最後まで話を聞いてくれて、ありがとう」と。
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by vivian_n | 2008-03-01 22:46 | 心の琴線