その日、私は田町にいました。
東京湾を見渡せるビルの24階。
突然の大きな横揺れの連続の後、ふと窓の外に視線を移すと、
お台場方向から立ちのぼる黒い煙が見えました。
何か、とんでもないことが起こっているのでは…?
携帯で連絡を取ろうにも電話はつながらず、メールも送れず。
しかしインターネットは生きていたので、
すぐ家族と連絡を取ることが出来、まずは一安心。
結局夜までその部屋を動かず様子を見ていましたが、
調べてみるとなんとか歩いて家まで3時間ほどで帰れそうだったので
21時頃、家に向けて出発しました。
1階まで降りる階段の長いこと。
降りる途中の壁には亀裂が入っている所も多々ありました。
外に出て歩き始め、最寄りの都営地下鉄三田駅の前を通り過ぎようとした時、
「浅草橋まで運転します」とのアナウンスが聞こえて来ました。
しばらく待ってようやく発車。
するとすぐに車内アナウンスで「大江戸線は全線で運転を再開しました」との事。
次の大門で大江戸線に乗り換えて、上野御徒町まで。
なんとか道程の半分を電車を使って辿り着くことが出来ました。
しかし、ここから先はもう電車は動いていない様子。
京成上野駅の地下通路を通り抜けて地上に出てみると
JR上野駅はタクシー待ちの長蛇の列。
それを横目で見ながら通り過ぎ、入谷、三ノ輪、南千住…
延々と続いている人の波に乗って
とにかく、ひたすら4号線を北上し、
家に到着したのは結局午前0時を回った頃でした。
幸い、ガスも、電気も、水道も大丈夫だったようです。
私と一緒に同行した二人を車でそれぞれの家に送り届け、
帰って来てからテレビを見る。
何が、どうなってしまったのか。
とにかく、朝になればいろいろ分かるだろうと
寝るともなしに布団をかぶった。
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今回の大地震で亡くなられた方、また、最愛のご家族を亡くされた方。
被災され、避難所で日々を過ごされている方。
心からお見舞いを申し上げます。
東北地方の復旧はもとより、
福島の原発事故は、収束までにはきっとまだ長い時間がかかるでしょう。
生き残った私たちは、この先日本という国がどうなって行くのか、
しっかり考え、見届けなくてはいけない、と思う。
私たちに託されたもの。
私はこの日を、一生忘れない。